みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

③定期受診、そのまま入院

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「みんなのチカラに」連載第3回目が掲載されました。
http://www.nishinippon.co.jp/medical/2006/09/post_175.php

この日は2月のすごく寒いバレンタインデーの日でした。
この頃は、いつ吐くかわからず、
私は授乳中も、授乳後も、
一日のほとんどの時間、力を抱っこしたまま、という、
睡眠時間がほとんどない状況でした。

偶然にもこの日、定期受診で、
検査ストレスがきっかけだったのか、
それとも、やっぱり、限界だったのか、
まさに、ギリギリの日だったように思います。

私も、睡眠不足の積み重ねで、
自覚はなかったのですが、かなり疲労していたようで、
入院して、付添いで、看護師さん達のケアでばたばたしている力の横につきながら、
後で夫にあきれられるほど、熟睡してしまいました。

力、こんな私の状況もみて、
ここで、入院ってことにしてくれたのかも。


みんなのチカラに<3>定期受診、そのまま入院

 生後約1カ月、力(ちから)は退院できた。首を長くして待っていた2人のお姉ちゃんたちの喜びようったらなかった。

 力は生まれた当初から、ごくんと飲み込む嚥下(えんげ)がうまくできず、口からミルクを飲むことがほとんどできなかった。退院後も入院時と同じく、鼻から胃まで管を入れてミルクを注入することになった。

 家での生活は注入以外は上の子たちの育児とほとんど変わらず。ゆったりと授乳できるからか、力は次第に口から飲めるようになり、量が増えていった。私は寝不足ながら、幸せな毎日だった。

 約1カ月後、ミルクを飲んだ後に、急に吐くことが多くなった。口から全く飲めなくなり、体重も増えない。主治医から「胃や食道の異常が考えられます。外科的処置が必要かも」と言われ、その後の外科の検査で「胃食道逆流症」と診断された。

 同じころから、熟睡すると呼吸が浅くなり顔色が悪くなることが増えていった。起きていれば、いつ吐くかと心配でならなかった。

 年が明け、寒いバレンタインデーの日、定期受診のため病院に行った。診察前の体重計測。10日前の受診から100グラムも減っているではないか。何でよ?と思いながらも、最近、無呼吸状態があり、顔色が悪くなることを相談した。

 酸素飽和度を計測すると、やっぱり低い。血液とエックス線検査の結果次第で入院も、と言われた。なんだか力、検査ストレスからか、しんどそうになってる。そのまま入院となった。

 病室に入った時は状態が落ち着いていたので、看護師さんにお願いして、荷物を取りに一時帰宅した。その後、力は急激に悪化し、呼吸不全で一時は気管内挿管しなければ危ない状況だったそうだ。

 1時間後に戻った時には、病室に耳鼻科医もいて満員状態。呼吸を確保するために、鼻の穴から管を挿入されていた。点滴やモニターのための何本もの線が体に巻き付いて、新生児集中治療室(NICU)入院時に戻ったみたい。

 力、もともと気管が細く、気道を確保できないらしい。加えて、吐いてしまった残乳がのどに蓄積して悪循環。いろんな要素が重なって徐々に呼吸がしにくい状態になったとのこと。

 それにしても。偶然にも「今日」病院に行ったもんだ。行ってなかったら、とても危険なことになっていたのかもしれない。「よくこんなになるまで、家でみてたねー」と看護師さん。

 そんな悪いとは思わんかったよ。ごめんね力、きつかったっちゃね(きつかったんだね)。ごめん。

 その晩、力のケアから解放された私は久々に熟睡した。その側で一晩中、看護師さんがたん取りや処置で大変だったらしい。朝、医師や看護師さんから「一晩乗り切れてホントよかったね。これで少し安心」と言われた。

 つまり力、昨夕から危篤状態だったってことだ。

    ×    ×

【写真 】病室に入った力は気道を確保するための管を鼻に入れた