手術から数日経ったが、
顔色が冴えない。
腸も動いていない、熱が続く、など、
あまり良い状況ではないので、
週末明け、いろんな検査が続いた。
前日、日曜日の夕方、浣腸したら血便が出たので、
心配した夫は、(本当に)泣いて外科担当医(3番手)に来てくれるよう看護師に頼んだら、
一度は来ない、と言った主治医も、夜来て診てくれたとのこと。
その後深夜ずっと、夫は眠れなかったらしい。
朝交代に行くと、力、やっぱり白い顔をしていた。
げっそりした夫と交代して、
午後超音波検検査に付き添った。
腸が拡幅しているところとぺちゃんこになっているところと、
アンバランスな状態になっているのは見えたが、
それは、便が詰まっているのか、出血しているのか、明確に分からなかった。
検査している最中に、鮮血の血便が出た。
内臓の手術をすると、腸閉塞など、いろんな不具合が生じることがよくある。
胃のドレーンから出血せずに、血便が出るということは、
腸で出血がある、でもそれがどこか、原因は何かは、超音波では不明だという。
解明するには、もう一度開腹してみるしかない。
血液検査は赤血球の値が異常に低くなっており、貧血状態なので、
輸血することになった。
執刀医が他の手術が終わって回診に来た。
診察して、
血便が出るなら、浣腸してどんどん出すように、と言って去っていった。
夕方、少し薄暗くなってきた頃、また執刀医が戻ってきた。
「お母さん、血液検査の炎症反応がかなり上がっていることが、やっぱり気になるんです。
明日まで様子を見ようと思っていたけど、
やっぱりお腹を開けさせてもらって、確認させてもらえませんか?」
私も原因が分からないのは、いやな気分だったし、明日は祭日で休み。
お願いした。
夜8時からの緊急手術だ。
夫に手術のことを電話していると、
顔色悪い力を心配していたじいさんばあさんが偶然やってきた。
お姉ちゃんたちのお泊りを頼んだ。すごいグッドタイミング。
夫が来た。
2番手の外科医から説明があった。
「腸で出血している可能性があります。
開腹してみてそれでも原因がわからない場合がありますが、
それだと、すぐに閉じます。ただ傷は残ります。
もし、腸捻転などがあれば、元に戻します。
元に戻しても、色が戻らない状態になっていたら、そこを切除してつなぎます。
腸は長いので、5~10cm切除しても、問題はありません。
まあ、1mも切るとなると、問題ですが。そんなことはないと思います。」
こんな説明を受けた。
しばらくして来た執刀医からは、夫に、
「炎症反応が気になるので、開けさせてもらいます。
もし何もなかったら、開けただけになり、傷が残りますが、それは勘弁してください。」
と説明があった。
既に帰宅していた麻酔科医が戻ってくるのを待ち、
説明を受けてから、夜8時前に手術場に搬入された。
もう、真っ暗で、人もまばらな病院。
不具合のあった腸を切除してつなぐ、ということであれば、
2時間くらいの手術になる、もし、何かあれば、途中で説明するので待機してください、
と言われて、待機していた。
私は夕食を食べてなかったので、ほか弁に「かつ重」を買いに行った。ゲンかつぎ。
一時間ほどたって、2番手外科医が出てきた。
「お父さん、お母さん、開けてみると、
小腸の大部分がねじれて変色していました。
そこを切除すると、残りは50cm程度になります。
場合によっては、点滴がずっと取れない状態になるかもしれません。
変色している中でも、まだ使えそうな部分も一部見られるので、
そこを生かしたいと思います。
まずは人工肛門をつけて、様子を見、
数回に分けて手術する、ということになりそうです。」
小腸は1m50cm。2/3を切除されることになる。
絶句した。
「直接見ていただこうと思っています。どちらかお一人、手術場に入ってもらえますか?」
夫が入ることになった。
一人残された私、身体の温度が急に下がってくるのが分かった。
座っていても、膝がガクガクした。
夫が帰ってきた。
「真っ黒やった。正常なところは少ししかなかった。」
手術はそれから深夜2時までかかった。
待っている間、夫と話した。
-土日をはさまなければ、検査も迅速にできて早い判断ができたのではないか?
-サインには担当看護師も気づいていたのに、医師が見過ごしたのではないか?
結局は、何を思っても結果論だ。
手術が終わって、出てきた。
力は、何事もなかったかのように眠っていた。
執刀医から説明があった。
力は、もともとの異常で、
内臓のくっついていなければならないところがくっついておらず、
胃の手術をやったことで、
小腸が大きくぐるんと回ってねじれ、広範にわたって壊死してしまったらしい。
使えるのは上の40cmと、大腸につながる5cm程度。
上の元気な40cmの先の25cmが、壊死までしていないが、
変色しかかっている状態なので、
回復することを期待して、切らずに残した、とのこと。
小腸は半分程度残っていれば、機能的にはどうにかいけるらしい。
でも、現時点で正常な小腸は1/3しか残ってない。
おそらく、数ヶ月から数年は点滴が外れない状態になる、とのこと。
また、最悪の場合、壊死した小腸がお腹に入っていたことで、
その毒素が既に身体に回ってしまっていれば、
他の臓器を侵食して、臓器不全で命を落とすことになる。
この2、3日が山である、とのことであった。
説明が終わり、夫はいろいろと質問をした。
夫は手術待っている間、訴えることも頭にあったようだ。
でも、そんなことしたって、元に戻るわけじゃない。
冷静に、聞きたいことだけを聞こう、と2人で話し合っていた。
「貧血や熱など、兆候はあったはずだ。もっと早くに手を打つべきではなかったのか。
土日をはさんだことで、遅れたということはないのか。」
執刀医は、いろいろと説明していたが、
「でも、そう言われれば、その通り。何でも言い訳になりますが。」
本来なら、言動に気をつけなければならない立場の人だと思うが、
最後にそう言った。
力、術後はICUに入ったので、
私たちは、翌日の面会の約束をして、モニタに写る力を確認して、帰った。
自宅に帰りついたのは、3時半だった。
こんなどんでん返しがあったとは。
ブログも更新するかどうか迷ったが、やっぱり書くことにした。
父ちゃん母ちゃんは絶対絶対あきらめんよ。
力の生命力にかけるしかない。がんばって。