鏡開きが近づくと年賀状の到着も落ち着く。
年賀状は、メールが当たり前になった現代でも生き残る貴重な日本文化。
年一の近況報告を送り、見ることができるのは正月の楽しみの一つ。
今年の年賀状には、力のことを知る人たちから、
「頑張ってください」
「前向きな強いお母さんで・・・」
という言葉がかなり多かった。
皆さん、とても気にしてくれていて、ありがたいと思った。
でも違うのよ。自分はそんなに強くないぞ。
これからどうなるのか、不安でしょうがない時が一日に何度もある。
力のことを知った友人からメールが来た。彼女はいわゆる自閉症の子どもを育てている。
「いったん死を考えた。」
と書いてあって彼女のイメージと合わずに、そこまで?と思った。
でも、そんな気持ちになることもなんとなく分からんでもなくなった。
一番上の子の初めての育児の時に感じた、
虐待していってしまう親の気持ちが身近になるのと似ている。
その時間を過ぎて後から考えればなんてことないのに。
そんな恐ろしいある一線を越えるには、
ものすごく高い塀がそびえ立っているのが普通だが、
それがどんどん低くならずに高いままなのは、
周りにいるみんなのおかげだ。
こんなみんながいない人は、どんなに苦しいだろうか。
みんないろいろと事情を持ちながら、平気な顔をして毎日を過ごしているのだろうと、
今年の年賀状を見て、初めて感じた。