みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

Nが部活を引退した

[長文ご容赦]

Nは中学校に入学し、運動部に入ろうと見学した中で剣道部を選んできた。
いろいろ買いそろえるものがあるがいいか、と尋ねてきたので、
そこはまかせなさーい!と背中を押した。
きっかけは部活動紹介がおもしろかったこと、先輩たちの剣道姿がかっこよかったこと、という単純な理由。

入ったはいいが、2年生がいないそうな。
つまり、3年生が引退したら1年のみになるってこと。
・・・・それはなんか部活の醍醐味ないなあ、なんて思っていたら、
部活保護者会があると言う。平日の夜。
私が夜外出するには、周到に調整しなければ難しい。
顧問の先生に電話して、参加できない旨を話すと、こう言われた。

「うちの部活はかなり親御さんに協力してもらわなければならないんですよね。
2年生がいないので、1年生がすぐにレギュラーになりますので、
初心者の方々は相当に頑張らねばならないし、練習もきついので、
親御さん含めて相当な覚悟を持って皆さんに入部してもらってます。
どうかなあ、と思われるのであれば、早めに転部してもらって全然構いません。」

とのこと。
これがいまどきの部活標準なのか。びっくりした。
既に、竹刀だけは買ってやってたNが帰宅してきてから、
ごめん、剣道部はお母さんの状況じゃ無理と思う。よければ他の部活を探してみらん?
と話した。

Nは、こうした内容のもっとえげつない言葉を顧問の先生から言われていたらしく、
ふーんわかった、と言って、次の週には違う部活に入らせてもらっていた。実は消去法的にテニス部。
ここでも、いまどき部活の最低限の標準らしい保護者の車出しなどそれなりの協力が必要だったが、
ありがたいことに、顧問の先生が大変鷹揚で、他の保護者の皆さんがうちの事情を勘案してくれて、
できる時にできる程度で大丈夫だった。会合も一度も出ずじまいだった。

そのままNは引退まで続けた。
テニス部では力を入れてる団体戦、3ペアで戦う。
前衛後衛各3名ずつがメインレギュラー陣として選出されるのだが、
Nはなんとか2年のうちにその一席をほぼ確保し、
さらに、勝負がかかることの多い3番手として登用されることもほぼ固まった。
中学校のテニスというのは、後衛がおそらく7割以上はボールを支配するので、責任重大だ。

そんな2年生からは、学習塾との両立がかなり厳しくなり、冬からさらにハードになった。
毎日毎日ひいこら言って過ごしていたが、
なんとか弱音少々位で頑張っていた。
他のレギュラーメンバーはほぼ部活メインで、
Nだけが皆と違う一日を過ごしていたようだ。
塾から夜遅く帰宅してきて、寝る前に筋トレだけでも、と毎日眠くても続けていた。

最後に納得できる力を出せたらいいなあと、見守ってきたが、
そのハードになった2年の冬くらいからなんとなく不調が続き、
波はありながらも、どんどん不調の底が下がってしまい、
最後の夏の試合では、
今までこんなNをみたことない、と思えるほど絶不調で、本来の力を出せずじまいで引退した。
所属中学校も、区大会も突破できずに敗退してしまった。
勝つ者がいれば負ける者がいる。当たり前の風景なのだが、本当に残念だった。勝たしてやりたかったー。


精神力を買われて3番手を任されたN。
直前まで不調でも、本番ではきっと力を発揮してくれるに違いない、と、
親ばか状態で信じていたが、
試合2週間前から、まず食欲がなくなり、表情も暗くなって、
白髪が出てきたり、めちゃくちゃひどい口内炎ができたりして、心身ともにストレスを感じていたN。
数日前から、毎夜泣きが入っており、母の小さな度量の中では、叱咤激励のネタが尽きてしまっていた。

1週目の個人戦では目標に遠く及ばず、
翌週の団体戦では当初の予定ペアも交代されて予選1試合のみに出て負け。
(しかも、私は時間に間に合わず応援できず)
団体戦予選の試合待ちの際、声をかけると、Nはもう試合に出してもらえないと思う、という。
そっか、しょうがないよね。そんなら代わりに一生懸命みんなを応援せなね。と言って離れた。

以降の試合は、2年生のホープが出たり、この試合直前にレギュラーを外された子が出たり、
顧問の先生の苦心のほどがうかがえた。
Nは割り切ってないだろうが、一生懸命声を出して応援していたようだ。

本選に進めば、1回戦さえ勝てば市大会に出場できる。
夫も私もテニス経験者。団体戦に出たことも、采配したこともある。
もし、今の私が決めるのなら、Nを出すことはないだろう。来季のホープで勝負するはず。
夫も、今のNにはもう荷が重すぎるよね、と話していた。

1回戦がはじまった。
何と、Nはオーダーされていた。ペアは変わっていたが、先鋒。

相手のペアは、Nが別の子と組んで個人戦でスコ負けした相手。いわゆる格上だ。
思いっきりやってほしいとの願いむなしく、まあまああっけなく敗退。
2番手こちらのペアは実質ナンバーワンペアにて、なんとか勝利。
3番目の勝負がかかる場面は、今までNが受け持ってきたが、
今回初3番手を経験するペアとなった。個人戦ではとてもいい試合をしていたが、
後からNに聞いた話では、3番手を告げられた途端泣いてしまった程プレッシャーを感じての登板だったらしい。

相手ペアは、一人がサウスポーの、なかなかトリッキーなプレーをする粘り腰の嫌な相手だった。
競っていたが、相手が涙が流していたりしたので、なんとかなるのでは、
と思っていたが、
逆にそこから持ち直し、対してこちらのペアは心折れてしまい負け。
1回戦敗退、
そして、Nの学年は部活終了、引退となった。
きっと次のステージに行くものと、応援のためのヘルパーさんなどの段取りを1か月前からしていたが、
以降の日程は全てキャンセルをすることになった。
力も元気に留守番ができており、後方支援していたのだろうが。。


引退翌日から、Nはすごいスケジュールが評判?の夏期講習の人となり、
部活時よりも家にいなくなった。
ただ、引退して2週間以上、夜帰ってきてめそめそ泣いたり、考え込んだりしていた。
なかなかふっきれずにいた。
このまま受験も失敗するのでは、と心配している。その気持ちわかるわあ。なんにもいけてなくなる時期だ。
そして、もう高校になったらテニスはしない、違う部活に入る、と言い、
ひそかに高校生になったNと一緒にテニスをしようと目論んでいた夫を大いに悲しませていた。


引退すると恒例の「卒部会」といって、3年生引退と顧問の先生お疲れ様の宴会が開催される。
Nは夏期講習のお泊り合宿にちょうど日程がかぶり、3年の中でNだけが不参加という、
全く、最後まで、スケジュールが合わないNであった。かわいそうに。
代わりに、と言っては何だが、私が参加することにした。通常3年生の保護者もほぼ全員来るこの会。
お仲間にいれてもらえるかなあと思いつつ。

車出しも最低限だったし、試合を短時間だけ見にくるだけのいわゆる幽霊保護者だったが、
皆さん暖かく仲間に入れてくださって、いろいろと裏話的なものも聞けた。

個人戦団体戦も、結果としてNが大ブレーキの一因となったことは間違いない。
Nが悪いわけではないが、親としては皆さんに申し訳ない気持ちが大いにある。
でも、Nが勉強と部活を両立させてずっと頑張ってるのを皆知ってるからそんなに気にしないで、
と皆さん言ってくださった。

団体戦で3番手で負けてしまった後衛の子のお母さんと話した。
その子は言ってたそうだ。
「Nちゃんて、ずーっとこの勝負がかかる場面での後衛でしんどかったんやろね。始めてあの時わかったよ。」
と。
チームメイトの子が少しでも共感してくれているなら、それはNにとって、とてもありがたいことだ。

宴終わり間際に、顧問の先生と話す機会があった。
試合の日からずっと尋ねたかったので聞いてみた。
「なんであんな絶不調のNをオーダーしてくれたんですか?
2年生を出したりする選択肢もあったかもしれないのに?」
すると、顧問の先生、
「あのね、ずーっと今までNちゃんに助けてもらってたんですよ。
なのに最後をNちゃん抜きで戦うなんて全く頭にありませんでしたもん。それで勝ってもなんも意味ないし。」
と。

顧問の先生は今までいろんな実績を持った先生らしい。(その時初めて知った。)
自分も若いころは勝ちにこだわっていた時期もあったが、
たかだが中学生だ。
精鋭たちだけ選んで勝てるように育てることはそんなに難しくない。
そんなことに意味はない、と思えたところから、監督業が格段に面白くなった、と話してくれた。なるほどねえ。

これらの話は、全部、リップサービスも含まれてるとは思う。
が、聞いた話はそのまま、割愛せずに、Nに伝えた。
Nの顔からは、どう受け取ったかはよくわからなかったが、多分、少しはふっきれたのではないかと思う。
それからしばらくして、
あのさあ、Nってさあ、なんであの時あんなになってしまったんかな?大したことじゃないのにね。
と振り返る余裕が出来てきたから。

そりゃね「その時」にならんとわからんの。誰でもそんな状況に陥るもん。後から考えれば大したことないって。
でも、「その時」に、こんなの大したことないって思えるようになったら、
結構自分もちょっと成長したじゃん、ってことやないかな。
と私。
Nは、考える風に、そっかー、そんなもんかー。と。
ま、死ぬまで、「その時」は何度も訪れますからね。父ちゃんも母ちゃんもまだまだ修行中。
大人でも到達できずにいる人多数おるやろ。


そんなこんなで、Nの部活は無事終了した。
私たち、初の部活生の親も終了した。

テニスバカな夫は、Nがこれどうすればいいと?とテニスの技術について尋ねると、
時間も忘れて熱烈指導し、Rに比べると心やさしいNは嫌な顔せずに付き合っていた。
また、私のテニスの昔話も、いつも笑いながら聞いていたが、
きっとそれら、トータルでは父母の大昔の武勇伝としてNは捉え、
Nの頑張らなくっちゃストレスの一因だったのではと、今では少々反省しているのだ。

まだこどもともいえる中学生。たかだか2年ほど部活でテニスやっただけのいわゆる素人。
心技体をコントロールできるにはまだまだ程遠い。
私は、絶不調のNをみていて、入れ替わってコートに立ちたいと思う位だったが、
まさに、自分が頑張ることよりも、誰かを頑張らせたり、力を発揮させることは、
何倍も何十倍も難しい。
このNの部活生活で、私が学んだ大きな事だ。
親として、うまい立ち位置で見守ることって、本当に難しいことだ。
きっとこれからずっと、部活に限らずそうなんだろうな。

今から何度も何度も、嫌なこと、うまいこといかないことが多いだろうが、
Nはこの苦い経験を、これからのいろんなことに役立てくれたら幸いである。

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N、部活頑張った。お疲れさん。

☆ちなみに、Nのテニスしている写真が一枚もないという驚愕事実に今さら気付く。
見に行けば応援に力が入りすぎて誰も写真撮ってねーじゃん。親失格やろ。。。