みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

チューブ交換と夕暮れ泣き&母不調

Tチューブ交換は、本当にあっという間に終了した。
夫は何かあっては困ると、朝一の飛行機で戻ってきて、スーツのまま直接病院に直行してきたのだが、
待ち時間は長かったものの、診察と処置は、10分以内で終了した。
 
力は相変わらず午前熟睡モードに入っており、処置室のベッドに寝かせられてようやく、目を少し開けた。
医師は、入っていたチューブを、一気に引き抜いた。私たちも唖然とするタイミング。
そして、気道の中をファイバースコープでみてみたが、本当にきれいな状態で、安心した。
あんなに苦労した肉芽全く生えておらず。
 
また、チューブを外した状態でも、何も問題ない呼吸である。驚き。
医師も、これは、もう、チューブ要らんかもね。というほどだった。
 
といっても、まだまだ、自分の意思で呼吸をしている実感を持っているわけではない力だろう。
風邪などの不調では、チューブなしでは危険である。径を0.5mm太くした新しいチューブに入れ替えた。
これで以前のよりも、ずいぶん、
Tの形のチューブを、一穴の孔にどうやって挿入するのかな、と思って見ていたが、
柔らかいシリコン製のチューブは、
慣れた医師の手であれば、意外に手間がかからず、ピンセット一つで無事に挿入できた。
孔付近がちょこっとだけ血がにじんだが、
力は、少しふえーん、と言っただけで、後はまたねむねむモードに入った。よかったよかった。
 
イメージ 1しかし、寝ていたとはいえ、さすがに疲労した模様。
呼吸状態も安定しており、帰宅してもよく寝ていた。
 
夫も朝一便だったし、
私もなんだか疲労感たっぷりだったため、
おねえたちが帰宅する夕方まで、
まさに川の字状態で、親子でぐったり昼寝した。
 
このチューブ交換については、
大したことない処置だ、と言われてはいても、
ちょうど1年前の手術と、
予想以上に長くなった入院のことが思い返され、
私自身が、相当に緊張していた。
 
事前の体調管理も、気合いが入っていた。終わって安堵したのもあるのだろうが、
ちょいと寝たら大丈夫だろう、と思っていた私の体調は、転寝後も珍しくあまり回復せず。
翌朝、PTAの見回り当番で少し出かけたが、ぞくぞくする。熱もないが、しんどい。
通園は休んでいたので、そのまま、少し、横になっていたら、やや元気になったがもう一声のまま。年かいな?
夫は、朝のうちにまた仕事に戻っていた。
 
翌日も休んだ。先日亡くなったはるかの母ちゃんがわざわざうちまできてくれたので、お昼をご一緒して話した。
 
その晩、力は夜、異常な泣きだった。夜12時過ぎから2時間ほど泣きっぱなし。
昼は元気に起きていたが、最近にしては、起きてる時間が長いなあとは思っていた。
多分寝ぐずりだろうと、思いつつ、なんでこんなに泣くんだろう?とものすごく心配になっていた。
抱っこしたら泣きやむ。かなりの確率で、甘えに違いない。と思っていっても、やっぱり気になる。
服脱がせて身体のチェックをしたり、おむつを替えたり、いろいろしてみたが、明らかに悪いところは見当たらず。
それでも寝ない。大泣きする。
体調悪い中、夜中頑張るのはかなりきつかった。力の真横に布団を持ってきて、あやしつつ、
そのまま寝てしまっていた。力もいつの間にか寝ていた。
 
朝方5時前に、また、がおがおと泣きだしたので、おむつを替えてみたら、眠った。なんか情緒不安定である。
成長のあかしなのか?
そして、そのまま、昼過ぎの15時まで全く起きずに熟睡していた。
通園はもともと休むことにしていたのでよかった。私もここで休まねば、まずい、と、
朝のいろいろを済ませたあと、敢えて布団を敷いて、がっつり横になった。昼も宅配弁当を頼んだ。
病人状態で過ごし、午後からようやく元気になってきた。睡眠は本当に大事だなあ。
 
力は、今日もやっぱり、夜も少し泣きなきモードになり、いまも、まだ寝ていない。
泣いたり、テンション高くゴロゴロしたり。昨日よりは、機嫌はいいのだが。。。
 
また、横に寝るかー。