みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

レスパイトケアが命を救う

「レスパイト・ケア」
という言葉をご存知の方は少ないと思う。
定義として、
「障害者(児)の日常的なケアから介護(看護)者を一時的に開放すること」
である。
アメリカで発達し、欧米では広く展開されている福祉サービスだ。

ずいぶん落ち着いてきた「主たる介護(看護)者」の私だが、
長い入院生活から退院して自宅に戻ってから、
睡眠時間は細切れ、何時間もトイレにも行けないような日もある24時間365日な毎日に、
何とかやれたつもり、と、自分では思ってはいるが、
多分、はた目からはテンパっている状態に見えたことも多々あるだろう。
ギリギリな毎日に、こんな日常の中で私がぶっ倒れたらどうする?
と、そんな不安を持ち、緊急時にはどうしたらいいかを相談するも、なかなからちがあかなかった。

当地では、介護(看護)者のレスパイトケアとして、重症心身障害者(児)の短期入所がある。
国立系の病院でサービスが提供されているのだが、
当時、力のような、医療行為が多く必要な乳幼児が利用できる施設として、二つの病院しかなく、
どちらも見学にえんやこら行ったが、
「(ベッド)空き枠がない」
「人が足りない」
などと、施設の状況も相まって、利用したい、と思えるような状態ではなかった。
(スタッフの方は一生懸命やってくださっていたことを念のため特記)

実情を聞けば、レスパイトケアや、介護(看護)者の急病などの緊急避難的な場所、
と位置づけられていても、
結局は、子どもの時から利用して成人した常連さんや、
保護を放棄された方(辛いことだ)で枠が埋まっており、
「偶然ラッキーにも」空いた時しか利用できず、しかも、枠は予約制だという。

緊急避難にもならないではないか!

それでも当地は、少しは福祉サービスは進んでいる方であるらしい。

本日の毎日新聞一面記事に、
「介護殺人(在宅介護されている高齢者が家族に殺害される)」について書いてあった。
介護離職も問題視されているが、さらに、それが殺人につながっていく、という恐ろしい現実。
殺められる方も、殺める方も、ほとんどのケースが悪意があるわけではない、本当に悲しいことなのだ。

介護保険が機能していない、という見出しではあったが、
介護保険の問題だけではない。

障害者、高齢者の介護(看護)は、家族の誰かが専従せねばならない、だって家族だから、
という暗黙のルールは、社会福祉を放棄した国家責任だ。
非常に語弊があると批判されるだろうが、
「一家に一人、暇な女」
と位置づけられているような妻、または母、または娘が、
今までどうにかこうにか、やってきたのだが、
核家族化やニート問題で、離職せねばならない働き盛り男性や介護殺人が目に見えて増えてきたことで、
ようやく明るみに出た、という感じだ。

介護(看護)者にとって、ほんのちょっとだけでもいいのだ。
何もかも忘れて、リラックスできるほんのちょっとの時間で、
ぐるぐるドロドロなダークサイドから、逃れられる。
サービスがあっても、サボってる、などと思われるかも、
などと、なんとなく大手を振って利用できないような感覚を持つ介護(看護)者なのだ。
ウェルカムなサービス体制ももちろんだが、
ちょっと休んでおいでよ、という周囲の意識が最も重要で、サービス拡充につながるに違いない。

レスパイトケアは、命を救う。