みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

RSウィルスとテンカン

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週末からの不調は、木曜の検査時の眠り薬の影響に違いない、と思っていたら、入院前検査でRSウィルスに感染していた事が発覚。熱も病院到着時に少しあり、どんどん上がってきた。週明けの通園は休んで良かった。危うくばらまくところであった。

話遡る。
日曜も朝からイマイチ状態だったが、母午後から従兄弟の結婚式予定があり、出席ドタキャンか、というところだったが、午後落ち着いて眠り始めたため、行くことにした。

夕方帰宅すると寝ていた。すぐ目覚めおねえ達をみて、笑顔をみせた。あ~良かった、と安堵した。夜も寝たため、もう大丈夫かと思っていたら、月曜は昼からどうも良くない。珍しく泣いたり、体をビクッとさせたり。でも眠れてるし、熱もない。でも吸引は急に多くなってきた。モニタをつけると酸素の入りも今一つだ。う~ん、と様子見ていたら、またきた!白眼むいて体硬直し、顔色が悪くなりつつ。

先日調達したばかりのアンビューバッグで肺に空気送り、名前を呼ぶ。なかなか復旧しなかったが、とりあえず元に戻り、また寝入ってしまった。ちょうどおねえNが目撃し、ひええ、と汗。

明日は祭日だ。主治医に連絡だけ、と診療時間外だったが電話。会議抜けて対応してくれた。

先日の脳波検査をみると、やはり痙攣波がみられるらしい。いつ痙攣がきてもおかしくないので、休みあけ早急に受診して薬を開始した方がいいでしょう。と言われた。また、もし痙攣が何度も続いたり、長い時間意識無しだったら、すぐに来て、との事だった。

そっか、やっぱ痙攣か~と考えながら、夕食準備していたら、しばらくして力は起きて、数秒おきに、体をびくつかせながら苦悶の顔。痰も多く。ほとんど側から離れられなくなる。

これはどう判断すりゃいい?意識はある。

どんどん時間は過ぎる。手遅れになったら、私のせいだ、この状態なら救急車呼んでもバチは当たらんやろ、と、病院に電話入れ、ばあちゃんに自宅へ来てもらうよう要請し、119番を回した。

近くの救急車が出払っていたため、やや遠いとこから向かって来たのでやや間があった。おねえ達に、
「おかーさん、救急車で行くけん。ばあちゃんがしばらくしたら必ず来るけん、鍵しめて待てる?」
するとN「私も乗って行く!」R「いやだ、おかーさん行ったらだめ」と。
「救急車にはひとりしか乗れん。テレビ見よっていいけんね。ご飯先に食べよって。」
NとR「うんわかった!」

早っ。大きくなったなあ君ら。

しばらくして救急隊がきてくれた。私は力をだっこして乗り込み、出発。ラッシュ時で意外に時間かかったし、ガタガタ揺れる中吸引したり酸素投与したりで大変だったが無事到着。到着時はかなり落ち着いていた。当直が脳神経の医師だったので幸運だった。

入院して、痙攣回数や状態のチェックすることになったが、やはり痙攣していることは間違いなさそうだし、テンカンの診断をしていいだろう。とのこと。薬投与はじめるが、はじめれば最低3年は継続投与だし、力みたいな子は、ずっと飲み続けることになる可能性が高いので、ご主人にもきちんと伝えて下さい。と言われた。

テンカンとは痙攣発作が続く事だ、とはつながってなかった私だった。デパケン、という何だかギャグ漫画にでてきそうな薬を飲む事になる。

久々の入院棟では顔見知りの看護師さんが数人いてホッとした。力は珍しく左を下に横向き体勢をずっと崩さなかった。夜中まで吸引ひっきりなし。ウィルスの仕業だ。深夜38℃8まで上がったため座やく入れる。しんどそう。朝方ようやく眠ったらしい。私は4時半までは記憶ある。

朝は力が眠っているのをいい事に私も寝坊したが、注入もスタートし、少しは顔つきしっかりしてきた。
このウィルスは意外に長引くらしい。今日は吸引ひっきりなしでぶっ倒れそうだ。まだピークではなさそうだ。
ようやく先程眠ったので、今のうちに私も睡眠睡眠。