木曜午後から耳鼻科の定期カニューレ交換と、
小児神経科。
気管切開に関しては、
前回巨大肉芽を切除した後も調子よく、
気管内も殆ど問題なし。優秀です。
耳鼻科医から、学会資料のために、
力の顔写真を撮らせてもらえないか、と打診があり承諾した。
耳鼻咽喉科の一般開業医の多くは、
力みたいな珍しい症例を、一生診ることは無い可能性大。
いわゆる一般的な耳鼻咽喉科の病気を診断できれば、開業医として成り立つとは思うが、
もし、こんな稀な症例の患者が来たとき、
適切な処置やアドバイスができるか、というと、
疑問だという。
確かに、そうだろうな。
最近の医療の進歩によって、
一昔前は命を助けることができなかった人たちや、
早産や低体重で生まれたり、病気があったり、染色体異常などの先天性の要因がある子達も、
ちゃんと命が助かり、
ちゃんと成長していけるようになっている。
一般の診療所でまずは受診するということが、
これからもどんどん増えていくってこと。
今かかっている専門の病院などの大きな施設での、
様々な患者たちの症例を広く知らせ、
たくさんの医師やその他関わる人たちに、
知識と、意識を持ってもらうことはとても重要だと、
話を聞いて、思った。
力が役立つなら、それは意味があると思う。
力、もう新聞でかなり広く知られていることだし。
耳鼻科の後は神経科。
神経科の受診は、障害者手帳の申請ができるかの相談だ。
かなり早い時期から、
医師他、ケースワーカーさんなどにも、
福祉制度のことをいろいろと相談していたのだが、
力の年齢の低さではまだ確定できない、
と、延び延びになっていた。
今日診察してくれた医師は、
力をゆっくり診て、
私も面談を受けながらお話をしていたが、
ふと気づくと、もう、意見書(申請に必要な重要書類)を書いていた。
「あのー、申請はできそうでしょうか?」
「そうですね、申請に問題は無いと思いますよ。成長は、明らかに遅れているから。」
「何級?とかになるんですか?」
「1級でいけると思います。いろいろあるもんねえ、書ききれないほどですね。
お母さんたち、大変だったでしょう、ホント、頑張られたですね。」
「実は夫が先週から単身赴任して、お姉ちゃん達も二人いるので、
ショートステイなどのサービスを受けたいと思っているんですが、
手帳がないとどうしよもなくて。」
「それは大変!いち早く申請しないといけませんね。」
急いで書いてくれた。
意見書:診断書は認定医しか書けない。
この書類を持って行政機関へ自分で申請しなければならない。
今まで、取れるかどうかわからん、と言われ続けていたが、
ここにきて診断は、うーん、と考えることも無く、1級相当で申請できることになった。
手帳があると無いとでは、
何もかも、違う。
何も無いと、言ってみれば、
「土俵にも上がれてない」状況。
力に必要なものを揃えようとも、購入もできないのだ。
(まあ、お金を積んで買えばいいのだろうが。)
福祉サービスも、受けられるものがものすごく限られている。
早く申請せねばもうどうしようもないぞ、と、思っていたので、
書いてもらって、何となくほっとした。
と同時に、意見書:診断書を改めて見ると、ちょっと落ち込んだ。
まだ手帳交付されたわけではないが、
手帳もらうってことは、「障害」確定ということ。(数年毎に再認定があるが)
それも、一級。
「重症児」という文言が書かれていた。
ブログにも新聞連載にも「チャレンジド」という言葉について書いたが、
日本語の「障害」って言葉は、改めて、
もっと気の利いた言葉にかえて欲しいよなあ、と思った。
当地では、ちょっとでもその感じを薄めようと、
「障がい」と表記しているが、それも、ほんのちょっとした抵抗でしかない。
病院に付き添いしてくれたじいさんは、
まあ、よかたい、これから揃えるもんに困らんけん。
よかったたい、どんどん買ってやれ、
とか言っていたが、
親としては、よかった、って言われても、と、
かなりびみょーだったのが実のところ。
と言っても、現実は現実だ。
福祉サービスを受けられる土俵に上がれそうだ、ということを、
一歩前進、よし、としよう。
早速明日、申請だ。
あ、そうそう、一年前の今日は、四度目の手術をした日。
1年、もうそんなに経つのか、とか、
ずっと遠い昔のように感じるなあ、と、どっちも。
何か、いろんな節目の日は、
いつも関わりあっている感じがするなあ~。