みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

25.君が生まれてきた意味は・エピローグ

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「みんなのチカラに」連載第25回最終回及びエピローグが掲載されました。
http://www.nishinippon.co.jp/medical/2007/04/post_312.php

昨年9月から約8ヶ月間お付き合いいただきました「みんなのチカラに」新聞連載は、
4/30(月)掲載分をもって終了しました。
お付き合いいただいた皆さま、ありがとうございました。


当初20回で、とのことでお話いただいていましたが、
25回に延び、
このような長丁場となりました。
個人的なエッセイで、
紙面をずっと使わせてもらったことに、
恐縮しています。

連載はブログ内容を元にしたとは言え、
ネタだけ一緒で、ブログとは全く違ったものになったと思います。
ブログと違い、字数制限もあるし、
読む層も大きく異なるので、
たかが1200字、原稿用紙3枚、と言えども、
かなり神経を使って原稿を書きました。

最も不安だったことは、
この連載中、
力に万が一のことがあったら、ということでした。
20回、と話をいただき、
全体のラフ企画を考えた時に、
生まれてから、力が生きている現在(昨年6月)のことまでを、
20回にまとめ、
連載開始までに、
半分の10回分の原稿を出稿しました。
何かあって、書くことができなくなるといけないと思ったからです。

でも、最終回を迎えた今、
一歳7ヶ月の元気な力のことを書くことができたこと、
本当にありがたいと思っています。

エピローグに書いたように、
おこがましいですが、
毎回、誰かに伝わればいいな、
誰かの「気づき」や「振り返り」のきっかけとなればいいな、
と思って書いていました。
今朝、
私の母の、お隣のおばあちゃんから、
「涙が出たよ、こんなに大きくなって!」
と、涙声のお電話をわざわざいただき、
とてもうれしく思いました。

力のことを見守り、応援してくれた皆さんには、
感謝の言葉もありません。

連載で、自分にとっても多くの「気づき」がありました。
怒涛の時のことを改めて思い出し、
一生懸命書いていることで、
看護づけで、外に出ることが制限されている生活の、
ちょっとした気分転換にもなり、
いろんなことを考える時間となっていたこの連載執筆期間。
ハードではあったけれど、
終わってしまうことには、かなり寂しい気もしていますが、
また新たに、何かやれることを見つけたいと思っています。

力のことは、
ようやく手術などの大きなできごとから約一年たち、
安定している今からが本番だと思っています。

ま、いいか、と思いがちな、ルーティンな毎日を、
いかにテンションを保ちながら過ごすかは、
まさに、
「継続は力なり」

育児も、家庭生活も、友人や夫婦、親子関係も、仕事も、何もかも、
なんてことないいつもの毎日をいかに過ごすかは、
いつのまにか取り返しのつかない、なんてことにならないための、
目に見えない積み重ね。

力がいることで、一日一日に釘を刺される私は、
もしかして、とてもラッキーなのかも。


このブログについても、
実は新聞連載終了を機に、
一旦終了しようかと思っていました。
でも、
今月から夫が単身赴任することになったので、
私的事情ではありますが、
力やお姉ちゃんたちの様子を知らせるツールとして、
更新を続けることにしました。


これからも、どうぞよろしくお願いいたします。



みんなのチカラに<25>君が生まれてきた意味は

 力(ちから)が生まれてしばらくして、「天国の特別な子ども」という詩を友人が紹介してくれた。とても有名なのだと後から聞いた。

 ある赤ちゃんが生まれる前に、天国で天使たちが会議を開く。この赤ちゃんは特別なので、生涯が満足できるものになるよう、特別な任務を引き受けてくれる両親を神様に探してもらわなければならない。選ばれた両親はきっと与えられた神のおぼしめしを悟るようになるだろう、といった内容だ。

 夫は胸にしみたらしい。私はなるほどなあ、と思いつつもピンとこなかった。だって私たち、選ばれるほど立派な大人じゃないもの。

 力は何度か手術をした。そうでないと生きることが難しかった。最初の手術の前、頭では必要だと分かっていても、どうしても手術を決断できずにいた。何もかも放って逃げ出したかった。真冬の病室で力に付き添いながら「もっと力の身体に合った世界はなかったんだろうか? こんな私たちより、もっとふさわしい親がいたのでは?」と繰り返し考えた。

 そんなある日、思いついたのが「自分の生まれた意味」。これまでに起こった出来事や経験は今、このことを乗り越えるためのものだったのでは? そう思うと目からうろこが落ちた。

 力はやっぱり私たちを選んで生まれてきたのかもね。特別な任務を引き受けてくれる親だからではない。未熟な私たちを鍛え育てるために力が特別な任務を担ってやってきたんだ。「これはどう?」「そんならこれは?」。私たちに次々課題を与え、ちゃんとこなせるか、チェックしているに違いない。

 お姉ちゃんたちを授かった時にも同じように強く思った「生まれてきてくれてありがとう」は、仕事や家事、時間に追われて、いつの間にか思い出すことがなくなっていた。

 でも、力が生まれていろんなことを経た私たち。誰にとっても命があること、健康であることが奇跡だってこと、そして、子どもたちが自分たちを選んで生まれてきてくれたことの意味を、これからずっと忘れることはないだろう。

 これからも越えなければならないヤマはたくさんあるに違いない。でも大丈夫よ。何でって、私たちは特別な「力」を授かったんだから。不思議と母ちゃん、目からうろこのあの日からもう何にも負ける気しないのよ。

 私が三十ン年にして解を得た「自分が生まれた意味」。今度は君たちが見つけられるよう、手助けをする番だ。「生きているって何て楽しいんだろう! 何て素晴らしいことだろう!」と、子どもたちが私たち以上に思ってくれることが、大人の合格マークだ。目標は何てシンプル。

 自分たちの子どもだけを一生懸命育てることだけでは到達しないであろうこの目標のために、やることは盛りだくさん。ぼやぼやしてる暇も、しゅんとしてる時間もない。

 みんなのチカラに感謝しつつ、みんなのチカラになれるよう、さあ、迷わず走ろう! =おわり


<番外エピローグ>連載を終えて これからも続く試行錯誤の日々

 4度目の手術が終わり、ようやく力(ちから)の容体が落ち着いてきた昨年6月初め、連載の話をいただいた。

 インターネット上で力のことを公開しているとはいえ、新聞となると影響力は個人的なブログの比ではない。でも、迷ったのは一瞬。お受けすることにした。これも力が引き寄せたことに違いない、と思ったからだ。

 打ち合わせの時、力の名前や写真の話になった。実名や顔写真を掲載した方が記事に現実味があるし、伝わる力は大きい。しかし、力やお姉ちゃんたちが連載を読めるようになる近い将来のことも考慮して検討してください、と言われた。本当にそうだ。

 すぐに夫と相談。私と同じ考えだった。力は力だ。お姉ちゃんたちだって同じ。自分たちがきちんと伝えよう。きっと彼らも分かってくれる。そう2人で話して決めた。

 連載が始まり、見知らぬ人からも声をかけられるようになった。連動してブログのアクセス数も増え、励ましや有意義な情報が寄せられる中、ある日こんな内容のコメントをいただいた。

 「親の自己満足で子どもを見せ物にしていませんか? 子どもがかわいそう。もうやめてあげて」

 公にすることに対する初の批判的な意見。あー、やっぱりこう感じている人もたくさんいるんだろうな、と思った。予想していたとはいえ、さすがに考えさせられた。「見せ物」という言葉でくくられたことに、とても悲しい気持ちにさせられた。

 力が生まれてすぐに、インターネットで情報を集めた時、力と同じ染色体異常の海外の女の子を探し当てた。この子のことだけでいくつもの賛否両論のトピックスが検索できた。メディアにも何度か出ているらしい彼女の両親の行為を「売名」と批判する人も多くいる。

 自分はどうだ? もし今、力を授かっていないなら、違う見方をするのかな? 連載すること自体は確かに私の自己満足ともいえるよなあ。

 連載を始める前に担当記者さんから言われた。「伝えたい人を思い浮かべながら書くとうまくいきますよ」。そう、私はうんうんうなりながらも、毎回それぞれに、伝えたい誰か、そして、大きくなった力やお姉ちゃんたちを思いながら一生懸命書いた。

 連載はいわば手紙のようなものだった。子どもたち、そして、読んでくれた誰かの心に少しでもプラスになる何かが届いたのなら、連載は見せ物ではなく、意味があったと思っている。

 「生きてくれているだけで、子どもは宝なのに。ほとんどそうは思えなくなっていた私。息子にも、障害をもつ娘にも、こうあってほしいのに…とそれぞれ注文ばかりつけて、思い通りに育ってくれないので、うつうつとしていた。おろかだったなあ」。障害のある娘さんを抱えるお母さんからの返信は、この連載が役に立ったと実感できたものだった。

 大きな手術から約1年。三キロ台だった力の体重は今では六キロを超えた。リハビリに行き、家では布団の上をゴロゴロと転がったり、お姉ちゃんたちと笑顔で遊んだり。対して私は今年の初め、看護疲れからか体調を崩した。それを機に仕事漬けで、毎日のように午前様だった夫は周囲の方々の協力を得て、できるだけ早めに帰宅するようになった。これからも家族それぞれのペースにあわせ、形を変え、試行錯誤しながらの毎日が続くんだろうな。

 力の命を救い真(しん)摯(し)にフォローしてくれた主治医ほかスタッフの皆さん、すぐに手を差し伸べられる距離から見守ってくれている友人たち、毎日のように協力してくれるおじいちゃん、おばあちゃん、そして何より、お姉ちゃんたちと夫に感謝したい。