みんなのチカラに~ぼくが力になれること

産まれてすぐに救急搬送されたチカラは、 5万人に1人とされるトリーチャーコリンズ症候群と診断された。 箇条書きでも1枚に収まらないほどの手術や入院を繰り返した2005年からの10年。 これからどんなことが待ち受けているのか。 もう、チカラも家族もどんとこいの力が備わりつつある。はず。

回復傾向

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力、朝方から起き出して、たんがかなり多かったらしい。
私は相変わらずだが、看護師さんにお任せして夜間は久々にグッスリ寝てしまった。
夫に、「あんたくらいよ、病院で熟睡出来るのは」と言われた。
病院でしか眠れんっちゃけん!自分が毎晩力の側で寝てみろ!って。

朝、外科医が立ち寄ってくれた。
また臍の側の傷から膿出てきたことを話すと、
すぐに残糸探しをしてくれた。
で、やっぱり出てきた。これで6本目。

「もうないでしょ、さすがに」、と笑いながら行ってしまった。
ホント、外科担当医にもとてもお世話になってる。
他科で入院してる患者にまで手が回らないのが普通だ。
病棟も全く違う場にあるというのに。ありがたいことだ。

朝痛いことされた後は力、スッと落ち着いた。
熱も下がりたんもパッタリ減。ご機嫌で遊んでくれた。

昼、じいさんばあさんがお姉ちゃん達を連れてやってきた。
泣かないと約束したはずの下のお姉ちゃん、
やっぱり怪しい感じで、結局泣いてしまった。
さらにばあさんがなんか様子が変。
なんだかんだ話して泣き出してしまった。
どうもじいさんがなんやかやお姉ちゃん達のお世話について言ったらしい。

ばあさん、自分の仕事もある上、
さらに力の急の入院時にはお姉ちゃん達の世話までしてくれてる。
彼女もいっぱいいっぱいなのだ。
これもひとえに、お姉ちゃん達と力のため、と頑張ってる。
そんなところに、ちょっとした無神経な言葉、
さらに私もそう言いよった、
とか口からでまかせ(いつものことだ)言って追い討ちかけたらしく、
それでブチ切れた模様。
全くもうホント訳分からん。また私が悪者やんか。誰もかれも全く。
この状況、誰もみな、
自分を抑えてどうにか均衡保ちながらやってんのに、
自己本位で均衡破る者がおるけん!

どうにか誤解は解けたが、はああ、だ。
やっぱり現実は大変なのはよく分かる。
今は快く頼まれてくれてるが、
何時までもじいさんばあさんを頼れんな、考えねば、と、
午後はいろいろ思案の時間であった。白髪がまた増えるなあ。。。

対して力、どんどん回復傾向。昼もゴキゲン。
午後遊びすぎ、昼寝の時間逃してしまったからか、
夕方5時から熟睡モードに。それっきり何をしても起きずに今に至る。

熱も薬無しでスグに下がってくれた。よかった。力、強いよな。


話変わるが、午前に夫から電話あり、同期の子が亡くなったと。
彼女とは、私も学生時代同じサークルでテニスした仲。
ショックだった。
卒業後、ずっと闘病し、彼女なりに明るく頑張っている、と聞いていた。
一度お見舞いに行ったが、
健気に笑顔を見せてくれていたのがとても印象に残っている。

命あること、健康なことは、当たり前じゃない。奇跡みたいなもんだ。

れいこちゃんに、合掌。