(Rの3年分のエピソードのため長文御容赦)
Rはもうすぐ小学校卒業だ。
力が生まれた時はまだ保育園児だったRだ。感慨深い。
Rはわが家のムードメーカー的存在だ。
おしゃべり大好き、おしゃれ大好き、歌うたい大好き。でお調子者。
なのに、学校や外出先ではやや猫かぶりの模様。
おねえNが小学生時、なんかさーRって家の時と全然違うとよー、と言ってた。
周囲の反応が気になるらしい。目立ったことをしたくないらしい。
それは後から思えば、
4年生時にクラスがやや不安定で、女子派閥のめんどくささを体感したからだと思われる。
で、卒業前の今になってもまだ話題になる、
Rが4年生の時のことで、
本人が今まで生きてきた中で最も衝撃的な忘れられないエピソード、として語るのが、
「私(R)の3週間戦争」(ネーミングはR本人)
のこと。
最少文字数で説明すれば、「母との約束を破って家を出されてショックだった」、ということ。
こんなあらまし。
毎年、居住区内のほぼ全小学校参加の音楽会があり、
NとRが通う小学校では、小学4年時に出場することになっている。
学年全体で練習して合唱合奏をするのだが、
せっかくピアノを習っているのだから、
4年生になったらその音楽会のピアノ伴奏のオーディションに挑戦する、というのが、前々からの約束事項。
おねえNは挑戦して残念ながら落選。残念がっていたが、これはこれで、後から経験が生きた。
Rも最初は、私やってみるよ!と意気込んでいたが、
もともと、初ものや、勝敗が読めない挑戦がとてもとても苦手なR。
クラス不安定だったことも相まって、
オーディションが近づくにつれ、だんだん無口になり、機嫌悪くなり。
心配していた。
ピアノの腕はまあそこそこくらいにはなってたが、
わが家での、オーディション挑戦の目的は、
合格することが目標ではなく、学校で、皆の前で、何かに「挑戦」すること。
案の定、エントリーの日に、手を挙げずに帰ってきた。
なんだと~?
頭にはきたが、まずは話は聞いてみた。
R、相変わらず負けることを恐れていた。失敗したら恥ずかしい、と、やってもないことの皮算用。
なだめたりすかしたり、叱ったり話を聞いたり、考えられることをして、
翌日、別枠で楽譜をもらいに行くことはできた。その後、練習もしていた。
あーよかった、と安心していたら、
オーディション当日、参加せずに帰ってきやがった。
なんてこと、敵前(?)逃亡やないの!!
さらにしらーっと、もう終わったけん仕方ないし、てな他人事のような顔をしていたRをみて、
母、キレてしまった。
延々と説教をたれ、最後には家を出なさい、お母さんはもう知らん。
とダウンコートとランドセルと教科書を持たせて、家を閉め出したのだ。17時頃だったか。もううすら寒い。
母のひとりよがりだったのかもしれない。
親心として、自分を克服してもらいたいという一心だったのに。Rには裏目に出たのか?
でもさ、受けずに帰ってくるなんて、そりゃだめよね。逃げるなんてめちゃ卑怯やし。
いやいや、うまく持っていけなかった自分やろ?
きっともっとうまくできるお母さんたくさんおるはずやん。
そんなことがぐるぐる頭をうずまき、泣きたい気分になっていた。
全然だめじゃん、親として全然だめじゃん。
Rは何度かインターホンを鳴らし、
お母さん、ごめんね、とか、
お母さん、もう逃げたりせんけん、とか言っていたが、
Rの場合はお調子者なだけ、もうせんけん、を守れない前科もある。
何より、自分が情けない。寒空に子どもを外に出したりして!なのに許してあげられない非寛容。
まさに、引くに引けない状況になるほど、家がガタガタ鳴るほど(勿論比喩)、叱っていたのだ。
そこで、助け船を出してくれたのが、Nだ。
あからさまに、もう許してあげたら、とか、入れてあげてよ、とか言っても、
火に油を注ぐとわかっていた模様。
こっそりトイレに行くふりをして、玄関ドア近くに行き、こそこそRと話していたようだ。
いろいろと入れ知恵をしていたらしい。
家出して2時間ほど経った後、
Nが、ねえお母さん、Rおしっこ行きたいって言いようよ、トイレだけでも入れてあげたら?
と言ってきた。
そうきましたか。うまいこと考えたわね。
結局は、それをきっかけに、入れることになった。
おねえNに、R、そしてまさに母も、助けられたことになる。
Rはというと、外が暗くなりほとんどあきらめて、
玄関でも夜を過ごせるようにするにはどうすればいいか考えた末、
玄関の掃き掃除して、寝場所を整えていたのだった。後から笑い話のネタとなったことの一つだが。
R、家に入れてもらってもまだ説教はたれられたが、一応反省した顔だった。
そして、来年の5年生の時には、卒業生を送る会、または卒業式で、
ピアノ伴奏のオーディションを受ける、と宣言したのであった。
そんなら、母、R、あなたを1年間ちゃんとみておきますから!次に逃げたら、わかっとーよね。
と母も宣言した。
そして、うまく見守れるよう、今度こそうまく促せるよう、私も頑張らねば、と強く思ったのであった。
で、翌年度の冬。
卒業式と卒業生を送る会の準備がぼちぼち始まった。
もうすぐオーディションやない?とRに尋ねると、うーん、、、と渋い顔。
覚えとうよね、一年前の約束。
うん。受けるってば今度は。だってさ、おかーさん、受けんと家出すっちゃろ?
なんじゃそりゃ、人(母)のせいか?
また怖気づいているのだ。
大丈夫かなあ、と思っていたが、なんとか楽譜をもらってきて、練習をしていた。
いやだいやだー、と言いつつも、葛藤しつつもやってた。本当はそんな自分が嫌いなのだろう。
で、当日。
合格が目標じゃない。今まで練習したように、弾いてくればよし!
と声掛けたRの顔色は真っ白で、やっぱり心配した。また逃げて帰ってくるんじゃ?
帰宅前にそわそわしていたが、ただいま、と帰ってきたRに聞くと、
「うかったよーん!!」
と何食わぬ顔だ。なんて腹立つめんどくさいやつじゃ!
が、本当は、R、卒業式伴奏を狙っていたのだ。それは逃し、
卒業生を送る会の合唱伴奏は、なんとかゲットできたということ。
本番は、その会には保護者の参加は基本的に不可だったため、姿をみることはできなかったが、
後日の参観で、特別に皆で合唱合奏をして、弾いているところはみることができた。なかなかよかった。
参観の後、よかったね!やればできるって自信になったろ!
次は、自分の卒業式で、伴奏せなね!がんばれR!
Rに小学校最後のハードルを設定した。
(ちなみにおねえNは、それまで散々落選してきたが、
最後の最後で卒業式の最後の合唱伴奏を獲得して弾くことができ満足の呈だったのだ)
で、今年度の最終学年。
つい最近のことだ。
昨年末に、伴奏オーディションの告知があったらしい。
合唱3曲。1曲は歌謡曲だったため、メインの2曲の楽譜をもらってきていた。
もう、声掛けずとも、自発的にやるつもりになってるところは、Rの進歩と少々の自信の表れか。
なのにすぐに、「だってさ、受けんかったらお母さんに家出されるもん」と二言目には言っていた。
そんなわざわざ言わんでいいじゃん。もう、家出されるなんて、思ってないくせにさ。
Rは、長くて難しい方の曲が目当てだったようだ。楽譜もらってきたその日から練習していた。
R:「でもねー、Yちゃん(今まで何度も伴奏弾いてきた上手な女の子)はこの一曲だけに賭けるらしい。
だけん、Rは、これじゃない曲にしようかなと思っとーっちゃん。」
母:「そんなん、好きな方やりーよ。卒業式だって、弾くことが目標じゃ無いやん。」
R:「だってさー、もうYちゃん、少し弾けてたもん、絶対Yちゃんの方がうまいもん。R負けるもん。」
母:「そんなん知らんし。練習すればいいやろ。」
R:・・・・
母:「ていうかさ、2曲エントリーしーよ。それで問題なし!」
R:「えー、めんどくさーい。練習したくなーい。」
母:「知らんし。家出すぞ。」
R:「やっぱ鬼やん。鬼母やん!さいあくー。」
母:(無視)
年末年始、Rなりに頑張っていた。が、相変わらず不平不満を口にしてだれていたので、
母、おねえNが2年前、同じように、もうだめやん、絶対無理やん、
とかなんとかぶーたれてた時に言った同じ声掛けをした。
「あのね、伴奏ってソロじゃないけんさ。自分が弾きたい弾きたい、て弾いたら引かれるよ。
みんなが歌いやすいように、テンポを守ってメリハリつけて弾いてみ。
みんなのために、て弾いたら、緊張せんやろ。
お姉ちゃんの時も、お母さん、おんなじこと言ったけどさ。
ま、母ちゃんは伴奏者になったこととか一度も無いけん、えらそうなこと言えんけどね。」
R、オーディション前日は夜遅くまで、当日は朝練までして、
やっぱり、なんとかつかみとりたい、と思って頑張っていたようだ。
当日登校前、力の手を握り、
「ちーくん、今日は力を貸して!おねえちゃん、がんばってくるけどさ、自信ないっちゃん。」
なんて言ってたところは、見て見ぬふりをしていた。
まじ大丈夫かなあ?なんとも言えない出来だったもんなあ。
R、帰宅してきた。開口一番、
R:「あのね、明日ね、○×くんのお別れ会が急きょあることになって、プレゼント買いに行かないかんと!」
母:「は?何よ?オーディションなかったと?」
R:「ううん、あったよ。」
母:「で、どうやったとよ?」
R:「オッケー!(ローラのモノマネ付き)」
母:「はああ?それ早く言わんとさ。なんそれ、勿体ぶって。ていうか、勿体ぶったっちゃろ?」
R:「うん、そう!もったいぶったと!うれしかったー。あはは!安心した!じゃ、買い物行ってきまーす!」
相変わらずめんどくさいやつだ。
でも、よかった。あーほっとした。
後から、ゆっくり、オーディションの顛末をきいた。
今回もおねえNの時と同様、覆面審査(審査員は別室で生徒の顔を見ずに審査する)だったらしく、
公正?なオーディションだったらしい。
目当ての1曲目はやはりYちゃんが合格したので、もうだめやん、とあきらめていたら、
2曲目で選ばれたそうだ。
「最初自分だとはわからんかったー、周りのみんながおめでとう、て言ってくれたと!」
うれしそうだった。
本番の卒業式はまだだが、
ということで、Rと母の3年にわたるオーディション戦争?は幕を閉じた。
ざっくり言えば、Rも母も、少しは成長したってこと。
ピアノ命、では決してないが、
楽器を演奏できること、音楽を楽しむことができることは、
人生を豊かにできると信じる、父母だ。
力を授かった後に、入退院を繰り返し体調不安定の時期から、
娘たちのピアノレッスンのための調整は、母もなかなかしんどかったが、
なんとか続けてきて、彼女らも、ピアノの技術ももちろんだが、
ピアノを弾くことによって得られる何かのおかげで、少しは成長したはずだ。
これも皆、わが家の事情を理解してフォローしてくださったピアノの先生方と、
不在時に協力してくださったたくさんの方々のおかげ。
NもRも、たくさんの人たちのおかげで、いろんなことに挑戦することができてる。
怖がらずに、何にでも、向かっていってくれ!
負けても失敗しても、問題なし!
Go for broke!!