実は池坊の看板を持ってる。
大学生になってすぐ、親が花嫁修業よろしく、少々強引に連れていかれて始まったいけばな。
最初は、やらされ感満載で、いやいやだったが、すぐに好きになった。
「華道」と名がつくように、奥が深い世界。
師事した先生は、当地で有名な先生のお弟子さんにあたるそうだが、
テニスもしたりして、華道一直線、という感じではなかったのが、私にとって良かったのだと思う。
池坊は一般的には華道の流派の中でも厳しい伝統型に分類されると思う。
教書があり、季節や花器、植物の種類によるいけかたが定まっている。
先生によっては、型どおり忠実に教え込む。
「お願いします」と仰ぐと、全部引き抜かれてやり直しされてるのを、別の先生の教場でみたことがある。
私の先生は、さあどうぞ、好きにやってみて、と、準備された素材の選び方からほぼ自由にやらせてくれて、
いくらでも静かに待ってくれていた。
完成したところで、手直しをしてもらう際、
必ず、私のつたない作品のいいところを見つけてくれて、それを活かすように型になおし、手本を作る。
私はそのお手本を覚えて、もう一度同じように作り直す。また直してもらう。その繰り返し。
教書をみずとも、いつの間にか、型を覚えていた。
そんな、平日週一の夜、先生のおうちでの静かな集中の時間は、
いけばなに全然無関係のようにみえる様々なことに、とても役に立っていることを今でも実感している。
結婚して育児が始まってからはやめてしまったが、
習い事としては最長期間続いた、私にとっての最強趣味だ。
今日、先生のご主人から、先生が今年の夏に亡くなった、と喪中のお葉書がきた。
数年前から意識が無い状態になり、回復は非常に難しいと言われながら病院で闘病されていた。
お見舞いに行きたい気持ちもあったが、お顔をみるのがこわくて行けず。今思えば行けばよかった。
先生と生徒の関係で、いけばな、という場だったため、たくさんお話ししたわけではないが、
私の人生に、大きな豊かな影響を与えてくれたいけばなの師匠、本当にありがとうございました。